1年を振り返って

さて、恒例の1年を振り返る日記(今年が初めてだが)。個人的には、例年にない密度の濃い年だったように思える。とりあえず、Quaterごとに振り返ってみよう。

1~3月: プロジェクト最後の2年

前職場での最後の仕事。2年間にわたるプロジェクトの最後の期間。作り上げたシステムに対して、実製品に適用して、成果を報告する、というもの。

ぼくは、このプロジェクトのために関西から東京の方に異動してきたので、納得いかない部分も多いけど、とりあえず期限通りに完成できたことに対しては、満足しています。ただ、反省点が多いことも事実。

  • 適用率が思ったように拡大していない。

 これは、進め方がまずかった。本来であれば、僕らのような社内横串部門と事業部は密に連携を取り合って仕様を固めるべきなのだが、異動してきたばっかりということもあって、十分な人間関係を築くことができなかった。
 関西にいた時であれば、仕事仲間の大半は、知っている顔だったし、知らなかったとしても、文化が同じなため、ほとんど戸惑うことがなかった。しかし、今の事業所は、数年前には違う会社だったので、顔も知らなければ、文化も違う。そんな中で、十分な人間関係を築かずに仕事を進めると、どうしても仕様が独りよがりになりうる。今回のプロジェクトもそのような状況になっていた。

  • 仕事の進捗具合

 開発期間1.5年と言うのは、ぼくにとっては非常に長いプロジェクト(今までは、0.5年から1年ぐらい)。その中で自分の進捗を管理しつつ、チームの進捗と同期を取るのが結構大変だった。最初の方は、Dailyで進捗を管理していたのだが、後半になるに従い、その進捗会議が少なくなっていった。しかし、後半になればなるほど、各自の分担の間で同期を取る項目が多く、コミュニケーションを増やしていかないといけない時期なので、非常にイライラした。
 仕事の進め方/管理については、人によって考え方が異なることも多いけど、コミュニケーションを取っておかないと、最後の最後で矛盾が生じる。自分がPMになった時の参考にしたい。

一応、仕事の成果としては、日経さんがうまくまとめてくれているので、そちらを参照。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090622/172033/

4~6月: 新しい職場

4月から国プロの方に出向(http://www.aset.or.jp/kenkyu/project_2.html)。実に思い入れがある。と言うのも、ボクが関西から東京への異動を決意したのは、まさにこのプロジェクトに加わるため。

ぼくは大学時代にこの三次元集積化技術の応用化について研究していた。しかし、所詮は社会を知らない大学生に応用範囲が思いつくわけがない。また、LSIの設計をロクに知らない状態では、三次元LSIに必要な設計技術などもわかるわけがなかった。
当時、博士課程に進むことも検討はしたが、上記のような理由で研究の場に残るよりも、企業に行って実際に現場に行った方がよい、という決断を下して、就職することにした。

2002年に就職したものの、上記のことをずっと頭の中に残し、いつか関われる日が来ることを望んでいた。そして、2006年に三次元LSI関係の国プロが始まるという話を聞き、昔の上司に異動を直談判したのだ。その後、2007年4月に異動し、2年間は別のプロジェクトに加わっていたため、三次元LSIの方には加われなかったのだが、とうとう2008年下期から徐々に加われるようになった。

と言うことで、多くの人が異動というとネガティブになりがちだが、ボクは感動とともに異動通知を受け取った。

しかし、なかなか順風万般とは行かない。久々に新人のような気分で新しいプロジェクトに加わったわけだが、新しい組織は指示系統が非常に不明虜。と言うか、ほとんど存在していない。それどころか、上の人間は、面倒な仕事をもらったもんだ、という意識しかないので、どうやってお茶を濁すか、と言うことしか考えていない。

『これはチャンスなんだ。この不況下で企業で新しいLSIの形態を構築することなんてできないんだから、これを期に国を使って推し進めるんだ。世界に先駆けて、イノベーションを起こすんだ。』

と言うような意識を持っている人が非常に少ない。すなわち、理念が殆ど浸透していないし、浸透させれる人がいないのだ。

これには非常に不満だが、だからこそ我々こそ意識を変えて仕事に取り組まなければならない。

7~9月: 学会での再会

9月の終わりには、3DIC2009(http://www.3dic-conf.org/)という学会に参加。これは、主にTSVを用いた3次元LSIにフォーカスして、プロセス/設計技術/応用技術関連の論文を扱ったもの。ボクも、前職のプロジェクトの成果について、論文を書いて発表した。

ここでは、大学時代のボスに再会した。サンフランシスコではほとんど会話できなかったが、帰りの成田から東京までの成田エクスプレスの中で先生と席を共にすることができた。
いつもそうなのだが、先生と話していると、最初は普通に話しているのだが、最終的にはいつも説教されているようになる(ボクが地雷を踏んでるんだろうけど)。この日もやはりそうだった。話し始めて10分後ぐらいには、説教口調になり、ぼくはサンドバックになった。

しかし、今の時代にここまで技術のことに関して熱く語れる人ってどれだけいるだろうか? いつの頃からか、熱く語る人はうざい、というレッテルを押されるようになったため、企業の人間は下の人間に対して技術を語る人がほとんどいなくなった。話を聞くのが大好きなボクとしては、そんな状態は非常に淋しい限りだ。

そのような空気があるにも関わらず、先生はひたすら話してくれた。今の日本半導体が置かれている状況、世界の半導体の状況、中国の状況、世界でデファクトスタンダードを取る方法、研究の姿勢について。1時間足らずだったけど、ぼくにとっては、就職してから7年間何となく喪失していた気分を一気に埋めてくれるものだった。

とりあえず、記憶に残っている言葉を列挙しておく。

自分の頭で考えられる人じゃないと残らない。
世界で最初に抑えた人間が勝つ。
20年先のことを考えろ。
企業の人間には、戦略がない。
欧米の連中は私の講演を待ち構えてるが、日本人は質問にすら来ない。
プロセスや設計のR&Dを外注するのは、具の骨頂。一番大切なところを海外に持って行ったら、日本が優位な部分はなくなる。
今や、三次元LSIについても欧米がリーディングし始めてる。
DRAMをやったお陰で、プロセスの難しさがわかった。
日本は周りのレベルが上がらないとわからない。日本単独で突き進むことができない。
世界で戦うにはPhDが必要。
会社は守ってくれない。一人で戦える力を身につけなければならない。
自分の意思で仕事ができるようにならないといけない。
世界を取りたいんだったら、その分野で最高のところにいかないといけない。
外資系の日本支社は、奴隷と同じ。日本にとどまらず世界に行け。

10~12月: 似非プロジェクトマネージャ

学会から帰ってきて、気分を新たにして、再度職場に復帰。ここでは、サブグループのプロジェクトマネージャとして、仕事をすることになった。
と言っても、メンバーは年上の人とボクの二人。まずは、3ヶ月でプロトタイプを作って、実際のプロダクトの仕様をあぶり出す、というもの。

ボクにとっては初めてのリーダー経験。今までも小規模な開発は、リーダとしてやっていたが、基本一人だったので、自分の進捗だけ管理していればよかった。
他人の進捗まで管理しなければいけないのは初めてだ。

このような時に参考にするのは過去の経験。ボクも過去の経験を参考にしようと思ったが、はっきり言って失敗するのは目に見えている。作るものが明確でないにも関わらず、仕様なんて書けないし、その上、1週間に1度の進捗管理でうまく行くとは思えない。

と言うことで、

  • プロトタイプの開発
  • 朝会の実施

を新しく取り入れた。

アジャイル開発の本も何冊かは読んだが、いずれも短期間での開発に主眼を置いたものであり、全面的に適用するのは少し無理。ボクが取ったのは、上記の二つである。

プロジェクト毎に性格が異なるわけで、全てに対して統一的な手法を適用することなどできない。要は、自分の頭で考えて、適当な手法をプロジェクトに当てはめるのが最も近道であろう。

現在、プロジェクトの計画はだいぶん遅れ始めている。しかし、その分、ぼんやりしてたことがだいぶん見えてきた。ある意味、最初に決断を下さなかったのはよいことだと思う。期間が進むに連れ、知識はアップデートされるわけで、その最新の知識で決断を下すべきであろう。

プライベート

今年は、プライベートも充実した一年だった。

まずは、勉強会に参加できたこと。これにより、人の繋がりがかなり増えた。

次は、Twitterを本格的に始めたこと。Twitter云々について語るつもりはないが、このメディアの存在はやはり大きい。ブログよりも多くの人の目に触れる可能性があり、しかも、即時性がメールやブログと桁違いに速い。これによって、プライベート/仕事の面で大きくパラダイムを変えられた気がする。来年以降も使い続けることになるだろう。

最後に、今年は二人目の子どもを授かることができた。来年の4月に出産予定。結婚するまでは、自分が結婚することも、ましてや父親になることも考えることなんてできなかった。しかし、結婚して子どもを授かって、心の底から良かったと思う。彼女たちは、ボクの生活であったり考え方を一変させてくれた。そして、それは100%良い方に向かっている。うまく言葉で表せないが、若い人には結婚することも、子どもを作ることも躊躇って欲しくない。彼女たちは、かならず自分たちのパラダイムシフトをいい方向に起こしてくれるものなのだから。